2016年の大晦日に放送された、第67回NHK紅白歌合戦。
後半の視聴率は40.2%だったようだ。

前年の最低視聴率を更新することはなく、2年ぶりに大台(40%)に回復したという。
それだけ聞くとかなり話題になったような気もするが、正直内容としては微妙という他ない仕上がりだった。

演出としてはいろんなものをまぜこぜにしただけで、「とっちらかってる」としか言えない。
例えばゴジラならゴジラでいいから、それをしっかり主軸にして、最初から最後まで演出すべきだったと思う。

そんな中、やはりどうしても感じてしまったのが、SMAP不在の喪失感。
逆の意味では、不在にも関わらず感じてしまったSMAPという存在の偉大さだった。

今回はその理由を簡単に3点に絞って分析してみたいと思う。

1.ゴジラ凍結で感じた、SMAP不在の大きさ

年の瀬に紅白を家族そろってみなくなって、何年が経つだろうか。
小学生の頃は、眠い目をこすりながら、なんとか除夜の鐘まで起きていようとがんばって、結局23時くらいには力尽きて寝てしまったものだ。

大学に入り、一人暮らしを始めたころから、そうした一家団欒は自然となくなっていった。
混雑を回避して、年が明けてから実家に戻っていたからだ。

今年も結局、紅白はリアルタイムで見ることはなかった。
1月1日の夜になって、すべてを録画で視聴した。

正直、見た印象は「微妙」の一言だった。

真田丸のテーマの入り方も中途半端なら、土屋太鳳や橋本マナミが意味もなく踊る演出もそうだ。

「何のために?」その軸が全くないのが今回の紅白の演出だった。

もっと言うなら、バラバラ。
流行り物の寄せ集め。
1つの主役もいない、彩りだけでごまかした幕の内弁当みたいだった。

その最たる演出の1つが、「ゴジラ襲来」だったと思う。

ゴジラがNHKホールに向かってきてる。という演出が悪いとは言わない。
良い意味でNHKらしくない、思い切った演出だったと思う。

では、なぜそれを最初から最後まで貫けなかったのか?

冒頭からゴジラの情報を小出しにし、大トリでそれを粉砕する。
もちろん、その途中途中、みんなの歌で少しずつゴジラが弱るのだ。

草刈正雄の「ぬかりなく!」の声で真田丸のテーマと共に赤備えの騎馬隊がゴジラに向かって突撃していくさまなんかを想像すると、それだけで鳥肌がたってしまう。
そんな、一大スペクタクルになるように演出してほしかった。

それが出来なかった理由のひとつが、「大トリ、SMAPの不在」だったと思う。

後述するが、やはり嵐ではまだ、そこにいけないのだ。
人気や知名度ではなく、単純にキャリアという部分で。
全国民に対しての「歌の認知度」という理由で。

結局、SMAPがいないから、最後の最後のでゴジラを倒す演出はできなくなってしまった。

X-Japanは素晴らしい歌手だが、果たしてあのタイミングで出場し、いきなりゴジラを止める理由があっただろうか?

突如として出てきたゴジラの演出は、なんとも中途半端な位置で終わってしまった。

番組終了直後、ゴジラのことを覚えていた視聴者は一体何人いただろうか?

実に中途半端な演出だった。

2.大トリで感じた、SMAPの国民的英雄度

結局、大トリで嵐が歌うころには、ゴジラは忘れ去られ、何となく勢いで大団円に向かった。
でも、そこでも1つの違和感と寂しさを感じずにはいられなかった。

嵐が悪いのではない。

なぜ、最後の最後で「メドレー」にしてしまったのか?

それがスゴく残念だった。

もちろん、どの曲もサビを聞けばわかるし、どこかで聞いたことのある名曲だ。
でも、何か1つ、「これ」という歌があって、その歌の国民的認知度が高ければ、メドレーのように日和った演出をする必要はなかったと思う。
やっぱり彩りだけの幕の内弁当作戦としか思えない。

それは、嵐にとっても残念なことだ。
紅白の大トリでは「この歌を歌う」という一曲を持つことがこの先とても重要になる。
今はまだ、ファンやドラマを見る若者世代にしか伝わらなくても、その歌を大トリで何年も続けることが重要なのだ。
5年、10年と年月を重ねることで仕上がる、キャリアという武器。
その機会を1回放棄したことになる。

そう言う意味では、SMAPには「世界に一つだけの花」がある。

音楽の教科書にも掲載され、老若男女を問わず、誰もがAメロから口ずさめる曲だ。
今更だが、ゴジラを最後に倒すのは、こういう歌だろう。

SMAPの不在を嘆いているのではない。

こうした演出の消化不良の端々に、どうしてもSMAPの存在感の大きさを感じてしまう、ということだ。

3.タモさんをゲスト席に座らせなかったのはアンチテーゼ?

消化不良という意味では、ゲストにNHKへやってきたハズのタモリさんとマツコ・デラックスさんが、結局最後までゲスト席に座らないという演出にも度肝を抜かれた。

狙ってのことなのは十分わかる。
あえて視聴者の思惑の裏をかいてやったぞ、という、総合演出のしたり顔が浮かんで見える。

だが、それは成功だったと言えるだろうか?

「ゴジラ見えなかったもん」で処理するのではなく、せめて一瞬でもいいからゴジラにからめてほしかった。
あるいはそこでも、あくまでゲスト席に座らない明確な理由を付け加えてほしかった。
で、ないなら、NHKホールでブラタモリをしているほうがどれだけマシだったか。

明らかにタモさんの無駄使いだ。

でも、この演出も、見方を変えれば受け容れられなくもない。

それは、SMAPの参加自体に対する、NHK側のアンチテーゼだった場合だ。

タモさんとSMAPの親交の厚さは誰もが知る所。

SMAPが出ない紅白にはタモさんも来ませんよ。

そんなささやかながらも明確なメッセージがあったのだとしたら…いや、買いかぶりすぎだな。
それはさすがに伝わらない。

そんなこんなの第67回 NHK紅白歌合戦。

ツッコミ所だらけではあったけど、その裏で感じたのはSMAPの不在にして比類なき存在感だった。

国民的スターは、一夜にしてはつくれない。

でも、歴史の重みと言う意味では、67年も続いている紅白だって同じハズだ。

いつか、紅白歌合戦が大晦日からなくなったとき、私達は気がつくのかもしれない。

紅白歌合戦、その比類なき存在感に。